代表挨拶
「渕岡さんはどうして新潟県ではなく、富山県の製造業の会社の事業を継承されたのですか?」とよく質問されます。
私は大学卒業後、北米カナダに3年ほど住んでおりました。その後、日本に戻り、家業を継ぐため、株式会社フチオカに入社しました。私の父は4代目であり、20代の頃から社長という役職をしていましたが、家にいる時は仕事の話を一切しなかったので、家業の仕事内容は殆ど知りませんでした。
入社後は、営業まわりをする毎日でした。販売するものは、製造業で使用されている道具や機械です。最初の頃は、それで儲かるんだ。と思っていました。しかし、ある日、ふとこのやり方では未来がないと気づいたのです。それは柱となる主力商品に当社独自のプライベートブランドがないということです。俗にいう右から左の卸売業だけでは、今後さらなる価格競争が激化し、未来が危うい。と思ったのです。そう考えていた時、有限会社黒﨑金属工芸製作所の話が舞い込んできました。
私はワクワクが止まりませんでした。
株式会社フチオカが位置する新潟県燕三条地域は、国内でも有数のものづくり産地です。その燕三条では職人の方々の惚れ込む技術を駆使した商品や、若手はあらゆる手法を活用し、世界へ燕三条を発信する心意気を間近でみていました。私も自社ブランドを手掛けたかったものの、シンプルに言えば、この土地を知っている分「ここでは暴れることができない」と考えました。
そして、富山の地で製造業に挑戦しようと決めたのです。我々が位置する富山県高岡市も国内有数のものづくりの産地です。知る人ぞ知る高岡銅器は、仏壇仏具には無くてはならないモノばかりです。しかし、日本人の信仰心が薄れていく中、お墓や仏壇の需要が低迷し、昔のような活気ある業界では無くなりました。そうではあっても、この富山県には多くの伝統工芸や地場産業があります。それらを活用して、地域とタッグを組み、どこまで出来るか分からないが、この高岡を日本国内そして世界に発信できないか。もしかしたら、それはよそ者の俺にしか出来ないじゃないのか!と心が揺さぶられ、この地で挑戦することに覚悟を決めました。
そして、全ては「人」がいるからこそできます。そして出会いがあるからこそ成し遂げられます。
だから私たちの企業理念は、
「人と人が出会うことで、新しいイノベーションが生まれる。そして、世界を変えていく」
今回の事業継承をきっかけに川瀬和幸デザイナーを迎え、今まで以上に素敵な商品を生み出していきたいと考えております。そして、多くの皆さんにお会いできることを願い、ここに私の思いを記し、代表挨拶とさせていただきます。
代表取締役/ CEO 渕岡 優介